音楽映画(2007〜2010)





 『音楽映画』は、安野が2007年から2010年にかけて制作した、声と映像の為の音楽作品です。作曲家は、映像を撮影・編集し、編集された映像から見える風景や人物の行動等を、パフォーマーの声によって次々と「言葉」(名称や文章)で描写します。この作品では作曲が撮影・編集に、演奏が声の描写に置き換えられています。映像を描写する言葉の選択は、作曲家ではなくパフォーマーに委ねられています。

 パフォーマーの人数(視点)は作品によって一人から複数人まで様々なバリエーションがあります。また、パフォーマーは特に声を出す事に秀でた専門家である必要はないので、「音楽映画」はこれまで様々な背景を持つ人が参加してきました。

 描写する対象を、印象や連想などによる擬音ではなく、そのまま「言葉」で表現するという行為は、人間の認知を浮き彫りにします。人間が何を見てそれをどのように言葉で表現するか、それはその人が生活してきた環境によって様々です。一人称視点のパフォーマンスでは、見る物や、選ぶ言葉、言葉の運び方等にそのパーソナリティーが反映されますが、多数の声(パーソナリティ)が重なり、声のクラスターが音響として現われます(パーソナル→ソーシャル)。また鑑賞者も映像を見ているので、パフォーマーの視点との間にずれも起こります。「音楽映画」を行う場では、パフォーマーの視点、鑑賞者の視点、多様な背景を持った視点が輻輳した時空間が現われます。このような時空を、同じ場を共有する者達の文化、社会が現前する時空と呼ぶなら、音楽映画は映像を作曲し、パフォーマーの声によって、我々の文化、社会を直接聴き取る表現なのです。


音楽映画の歩み

音楽映画第一番『山手線』

山手線の全駅周辺を撮影し編集した。声は作家一人が一つの映像に対して多重録音を行う重なった一人称視点。舞台で発表するものではなく、メディアに固定された作品。

音楽映画第二番『三宅島』

一人称視点からの声ではなく、6人のパフォーマー(方法マシン)によってはじめて実現された作品。映像は三宅島を一周して各バス停周辺を撮影した映像。

音楽映画第三番『名古屋』

作家自身の声を多重録音する形式は第一番と同じ形式だが、この作品はリアルタイムで多重録音が行われるプログラムを用いて舞台上で実現された。

音楽映画第四番『横浜』

第2番と同じく、複数の視点と言葉(17人)による作品。

音楽映画第五番『大垣』

8人の声

音楽映画第六番『寿町』

6人の声

音楽映画第七番『リオデジャネイロ』

6人の声 初の海外撮影。声は日本人による日本人視点。

音楽映画第八番『仙田』

新潟県十日町市の仙田集落の映像を編集して複数の声で実現された。この作品では初めて地元住人の参加もあり、地元と外部の両方の視点が作品に生かされた。

音楽映画第九番

16人の声。この作品では、映像にスキャンバーが加わり、映像をどのようなタイミングで読み取るか、また16人それぞれに画像を読み取る範囲を指定するなど、映像の読み取り方をスキャナーをヒントに作家側から提案した作品。映像を楽譜として読み取るルールをよりはっきりさせた。どのように言葉に解釈するかの自由は保ったまま。

音楽映画第十一番『奥の細道』(未発表)

東日本大震災後に松尾芭蕉が歩いた道を全て辿って映像の撮影を行った。編集は未だ完成していない未発表作品。東日本大震災直後、かつて松尾芭蕉が歩いた道は太平洋側は被災地を巡る旅、日本海側は原発を巡る旅となった。